ブログを書くたびに自分がからっぽだと知る

からっぽだからこそ、まだまだ経験や思考を積み重ねる喜びを知ることができる

「文章を書く」=「内省」という言葉が近いのかもしれません。

内省(ないせい)とは、自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みること。自分の心の中を見つめ、何をどう思いどう感じたかを改めて熟考する、という意味に近いのかもしれません。

忙しない日々を過ごしていると、自分と向き合うことを忘れがちになりませんか。ご飯とかも「手っ取り早く食べれればなんでもいいー」という状態…。

そんな日々のなか、ブログを書く時間は、自分の考えや言動について省みる時間だと、僕は思っています。

2020年は「発信の年」として決めたにも関わらず、4月から更新頻度が激減…。半年が経過して、10月3日からInstagramとFacebookの毎日投稿、10月12日よりブログを再開。

日頃アウトプット量が少なかった生活は、SNSやブログに投稿することを前提にすると、イマまでなんとなくインプットしていたんだなと痛感することばかりです。

「さて、書くぞ」

と意気込んで、パソコンに向かってパチパチとキーボードを叩く。ほどなくして目の前には到底「おもしろい」とは言えない文字のかたまりが現れる。

「(うーん、こんなはずじゃないんだけどな。」

ため息ひとつついて、パソコンをパタンと閉じる――。そんな経験が、ぼくにはしょっちゅうあります。

自分は、ほんとになにも知らなくて過ごしてきたな。

からっぽだからこそ、まだまだ経験や思考を積み重ねる喜びを知ることができる。

それでも書き続けたりすることは、一日の中で文章を書く時間を設けるだけで、軸となる「自分の考え」の発見につながりやすいからです。

イマはいきなりいい味が出せなくても焦ることはなく、書くことを続けていれば、いつかきっと自分だけのいい味が出せるようになるはずと信じて。

それでは。
今日も悔いのない一日を。

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編集者 / ドローングラファー。大学卒業後、フリーランスとして独立。2016年ドローン空撮の魅力にはまり、国内外共に巡る。